自己・紹介
宮本武蔵の独行道に『多くの藝に触れる事』と言う教えあり。
この言葉を人生の指針とし、何が自分に向いており、自身の性格、長所・短所を分析しながら、今も尚、暇があれば「物作り」をしたりしています。
彫師として在るべき姿勢・形、を探求しています。
また、彫師として在るべき大切な事は、彫る技術、魅せる(陰徳)技術、描く技術を創意工夫し、時に暗中模索する日々を過ごしています。
いつ、何処で、どの様な修行をしてきたか?と言うと、十代の頃、神戸は尼崎と言う所で師(先代)に弟子入りし、アトリエにいる間は、掃除から始まり、ガーゼをたたみ、二代目が彫っている時は、側でその仕事ぶりを見ながら、師(先代)のマッサージをさせられる。
途中休憩の時は、師やお客さんのパシリになり、よく買い出しに行き、仕事が終われば、彫り終わった場所へ薬を塗り、刷った墨の墨入れを洗いながら、使用したガーゼを洗濯・消毒し、一日が終わる。
その後、師にその日の話しを聞いて、時間を見付けては絵(師の原画模写)を描き、描き上がればダメ出しを受け、そのダメ出しをメモしては次の注意に繋げる。
そんな毎日を過ごすのが修行であり、師が認めてくれるまで、針は持たせて貰えない。
「絵を身体で覚えろ」が口癖で、確かに絵を身体で覚えると、筋彫りは難しいものではなく、思いの外、普通に絵を描いている感覚に捉われた。
また、身体で覚える利点は、筋彫りを失敗した場合、テンパる事なく、禍を転じて福と成す、ではないが、より元の絵より良くなる。
こればかりは身を持って体感し、師の偉大さを感じた。
針には針の進むべき道があり、その針を進める身体は身体で、針の進路を感じ取る。
今となっては身体に下絵を描く時、その人、その場所(部位)にぴったりと絵が浮かび上がるか?などを見ては、しっくりこない場合は彫ったりしないでいます。
各人それぞれに合った絵があり、それを身体付きや肌の眼に探しては、見えた(感じた)モノを提供しています。
そして、本来ならお客さんが望む絵を提供するのがタトゥー屋さんの習わしでもありますが、当方は、その時の(私の中の)旬のモノ、彫りたいモノを第一にしていています。
和彫りには形があり、規則があり、また物語があります。
天地がひっくり返る彫り物は、見た目は格好良くても、失敗のレッテルを貼られ、折角、痛い思いをしたのにもかかわらず、失敗作などと言われると、我慢した本人も傷付きますし、彫った本人も傷付きます。
その様な形や規則、物語がある和彫りは、架空のモノであっても、その架空の世界で決まりや個性、特長、特色があります。
百聞は一見にしかず、と申します様に、彫る図柄を説明しても、大雑把なあらすじ、大雑把な事しか記憶に残らないのが必定で、時間とある時に訪れ知る機会が必ずあり、その時になって、また新たに誇ってもらえる彫り物を私は求め、努めています。
自己紹介をあえて、自己「・」紹介として、ザッと書いてみました。